復興に向けて

復興にかける想い

7月4日で被災から1年を迎えましたが、この1年は被災後の後片付け、様々な行政手続き、生活の再建に追われ、新温泉の今後の事を考えることはままなりませんでした。

1年の節目、行政からの通知に際して考えたこととしては、家族が数十年に渡って守り、公衆浴場という業態から、地域に深く根ざした存在となっていたこの温泉をただただ解体して良いのかという葛藤でした。古い建築物は崩してしまうとお金を出して新しい部材を揃えても元通りになるものではありません。

温泉郷、隠れ里として観光PRをしている人吉市ですが、温泉掘削が行われ、地域が発展した往時に建てられた建物はもう殆ど残っておらず、地域文化を伝える文化遺産が少ないのが実情です。今回の水害では市内の人吉旅館さん、芳野旅館さん、渕田酒造さんのような往時の趣を残す建物が尽く被災しました。球磨川沿いの景観を形作っていた川沿いの村、またそこを走るJR肥薩線も多大な被害を受け、旅行、鉄道ファンに愛された歴史的な設備も多くが失われてしまいました。

球磨人吉が今後再び温泉郷として復興するにあたり、ただ古いものを解体して更地に新しいものを建てても魅力ある土地にはならないのではないかと思っています。創業時の姿を今なお留める新温泉は、温泉として復活しなくても何らかの形で歴史資産として活用ができるものと信じています。

建築物の価値は、その建物が地域で担ってきた役割、建物を訪れた人々の記憶、建物がある地域で起こった様々な出来事が渾然一体となって形作るものであり、また、建物そのものがそのような一連の歴史を思い出させるメディアとしての役割も果たすと考えています。

非常に小さな存在ではありますが、新温泉に思いを持つ方々が繋がり、発展的に地域の復興に繋がるとすれば、人吉の発展を願って新温泉を創業した永見三郎の思いと重なることと思います。

新温泉 永見明子

国登録有形文化財化を目指して

被災から1年が過ぎた2021年7月15日、7月26日に熊本県や人吉市との意見交換会が行われました。人吉市からのご説明によりますと、中心市街地、市内各地で懇談会を行っており、新温泉を中心とした街作りが必要であるという住民の声が挙がっているということでした。人吉市としても新温泉の価値は把握しているため、所有者にも残す方向で考えてほしいというご要望をいただきました。

人吉市からは、文化庁の「登録有形文化財建造物制度」と球磨川流域復興基金 「人吉市被災文化財(指定文化財及び国登録文化財) 復旧支援事業補助金」の案内がありました。こちらの制度を利用すると文化財登録後に修復費用の最大3分の2を公的補助で賄うことが可能になりますが、現在、新温泉は文化財として登録されていないため、当初の修復費用は100%自費となり、文化財登録完了後に遡って申請することになります。

ご説明では、諸々の手続きや建物の修理等がスムーズに行えたとしても、建物の登録までには、最速でも令和5年3月とおよそ1年間はかかるということでした。熊本地震でも被災後、登録有形文化財への申請を行っている案件があるようですが、建物の修復後申請から国登録有形文化財へと登録されるまでおおよそ2年前後の時間がかかっているようですから、長い道程のようです。

 
文化庁「建物を地域と文化に 登録有形文化財建造物制度の御案内」より抜粋

まずは建物の存続を可能にし、最低限利用可能な状態にするためには修理工事が必用です。修理工事にはそれなりの経費が必用になりますが、旅館・ホテルと違って修復後にある程度の客単価で費用回収を見込むことができる事業ではありませんので、修理を私費のみで賄い、かつ公共財として維持していくことは難しいと考えています。

人吉市からも「今後の復興まちづくりの中での新温泉を含めたエリアの方向性やその中での建築物の位置づけなど含め、複層的に検討していく必要があり、市としましても所有者と相談を密にしながらより良い方向性を見出していきたい。」といったご意見もあり、新温泉の建物保存と今後の街づくりへの活用に向けた取組みは、何らかの形で社会的な支援を求めなければならないと認識しています。

ソーシャルメディアを通じ、ありがたいことにたくさんの方がたくさんのアイデアを寄せてくださっていますので、拝見して「残し方」「活用の仕方」「維持に必要な経費的支援」を精査するとともに、広くお知恵をお借りし、地域のためにベストな選択肢を選びたいと考えています。